思いつかないので無題で

 肺がんなのは知っていた。 入院していたのも知っていた。 癌の事を聞いた時、ウルトラだったかGenjiだったかは失念してしまったが、肩が痛いのでコンテ作業が進まないという事があったのだけど、あれは癌の影響だったんだねぇと、とろと話したりした*1。 監督にはとろが大変お世話になり、「●●(とろの事)にだったら安心して任せられる」とご指名を頂いたりもした。 お見舞いに行った際には「良くなったらまた一緒に仕事しような」と仰っていたそうだ。 原撮という工程を作り出したのは自分だと豪語していた事やV編の醍醐味やらから私的な事まで、とろを通じて耳にしていた監督の凄さはやはり唯一無二のものなんだろうな。 一晩経っていくらか落ち着いたので人目も気にせず突然嗚咽するような事はなくなったけど、もっと作って欲しかった。 病気の事を聞いた時にどこかでこうなる事は考えていたけれど、"また一緒に"という言葉が現実のものになって欲しい、きっとなる、そう信じてた。 有り難うございました。 ご冥福をお祈り申し上げます。

*1:何年か前に肺がんで私の伯父が亡くなっており、伯父も肩の痛みを訴えていたのだ。当時ビートたけしの番組で肩の痛みは実はガン!みたいなのをやってたらしく、まさかねぇと笑いながらも病院行ったら重度の肺がんである事が判明したという。